ふゆまのブログ

歴史、趣味のブログ

陸機の身長は高かったのか?

高尚な歴史や文学的な考察は、専門家にお任せして

私のブログでは、もっとミーハーなところを突きます

まずは外堀から攻めていこうかな



 

士衡長七尺餘、聲作鐘聲、言多慷慨

(訳:士衡は身の丈7尺あまり、その声は鳴り響く鐘のごとく、言葉には慷慨多し)

 

はい、今回は陸機の身長について考察していきます!

上の一文は「世説新語」から引用。

陸機の容姿や性格についてが分かる部分です。世説の信憑性はまあ置いておこうじゃないか

 

身長は7尺あまり

 

なんか、大きそうだぞ…(゜-゜)

 

私の当初の予想では、170㎝以上180㎝以下くらい

(※私の創作では175㎝に設定してあります)

果たして当たっているのか?

 

まずは、

三国時代の1尺が何センチなのか

※現代の1尺とは長さが違うので注意!

 

1尺=24㎝ 

 

なんで分かるかっていうと、三国時代の定規が出土しているのです(三国志展の図録で確認)だから、当時の尺はこのくらいだったってちゃんと分かるんですね~。

一応、他にも見たんですけど、24~24.2㎝と少し開きがありました。

今回は計算しやすいように24㎝でいきます。

 

7×24㎝=168㎝

 

え…

そんなに大きくない???

 

三国志では8尺越えの大男がたくさん出てきますよね

彼らは180㎝越えです。現代でも大きい。

うーん。7尺はそんなに大きくなかったのか。

 

一応、「餘(あまり)」についても考えてみましょう

 

辞書で引く

「すこし多い」くらいの意味でした。

 

5寸あったら書かれるはずなので、

0~4寸

2寸でも書かれる気がします

 

7尺に付け足すなら1寸(2.4㎝)が限界でしょうか

 

結果

陸機の身長は170㎝前後(168~172㎝

 

好意的に見て170㎝~175㎝ほど

最初の予想に近くなりました!(無理やり)

 

よく大きかったと思われていますが実際はこのくらいの身長でした。

みなさんの予想とは違いましたか?

 

ちなみに古代人の平均身長が小さいのでは…という可能性が残されているが

 

はい、おそらく平均値です。

7尺より下だと「背が低い」とされます。

この時期の平均身長は165㎝前後らしいので、陸機は小柄ではないが大男ってほどではないか。

 

そういえば北方の人の方が長身らしいですね。

陸機は呉の人なので、もしかして呉だったら長身の部類なのかな。

 

陸雲については残念ながら身長についての記載がないので、考察できないんですが

おそらく平均値かな~。

小さくても大きくても書かれると思うので。

 

 

ということで、身長編でした。

 

あんまり大きくなかったとか書いておいてなんですが、あくまで予想したよりって話。

平均よりは大きいから良いんじゃないかな(なにが)

とりあえず予想と大きく外れてなくてほっとしてます。

 

※諸説ある、たぶん。この考察に学術的根拠はありません。

 

次回は、残りの「聲作鐘聲、言多慷慨」の部分を考えたいですね。

 

では。